たかしくん日記-すなわちたかしくん論文集

書いてる人:形成外科医、所属なき研究者。甘いもの、温泉大好き。アド部はじめました。

ビジネスと公共

2019/07/14 16:16 に onishi hayao が投稿   [ 2019/07/14 16:27 に更新しました ]

15年ほど前に当時入居したばかりのマンションに意気揚々として管理組合初代副理事長に就任した俺が直面したのは、いい年下40-50代の男性会社員や経営者たちが企業経営論をマンション管理組合運営という公共に幼稚に当てはめようとする姿だった。

企業経営というのは要するに競争相手を出し抜き、顧客から売り上げをかすめ取り、社員から搾取をしてコストを削減して利益を伸ばすためのものである。対してマンション組合運営というのはマンション所有者たる組合員全員の利益を守るためのものだ。組合員は競争相手でもなければ詐取や搾取の対象でもない。あくまで同じマンションを所有する仲間、である。

このように企業経営と組合運営はまったく目的が違う。しかし若いころから企業社会しか見てこなかった人たちにはそれが理解できないのだ。例えば管理費収入が足りないとなると、組合運営の理論で言えば負担となる管理コストを下げるために管理会社と交渉したり、不必要な管理項目を削るなどの対策を考える。しかし企業経営の論理でしか考えられない彼らは、組合の収入は多ければ多いほど良いと考え、組合員の負担を無視して安易に管理費を増やそうとして、さらには組合員をいかに納得させるか、いや反対を封じ込めるための手練手管をこれ見よがしに吹聴する。

組合員は彼らに同じ住民である仲間ではなくて、管理組合の存続のための道具でしかない。組合員の反対を抑えて組合を存続させるか、組合会計の留保金を増やすか、そっちにばかり頭が行くのだ。

彼らの頭から多くの管理組合の人たちの顔は消え、目の前の少数の理事会のメンバーばかりの機嫌を取るようになる。

競争原理のために許される汚いやり方を公共の場で出してはならないという子供でも分かりそうな常識が企業経営幹部である彼らにはないのだ。
企業人というものがどんなにゆがんだ存在なのかを、ということを遅まきながら28歳のころに知ることになった。

あなたがどこでどんな仕事をするのか、何を学ぶのか、どんな営みをしていくのか。
そう考える時にこの競争原理と公共に対するわきまえを持つことが、上で紹介した人たちをうまく反面教師とすることが、あなたの人生を豊かにするだろう。

ジェット戦闘機と女子高生

2018/03/02 20:15 に onishi hayao が投稿   [ 2018/03/02 20:24 に更新しました ]

親子関係や学校の「苦労して勉強しなきゃ」の抑圧的雰囲気に悩む女子高生
に、元空軍パイロットで現代の主力戦闘機であるF15やF16の設計に大きな影響を与えた戦術家ジョンボイド氏の現代ジェット戦闘機の空中戦理論「エネルギー機動性理論」や「OODA」を使って情報収集や観察の重要性を説明したところ、親子関係を改善するためのヒントをつかんだと納得していました。

情報戦で優位に立つために高性能レーダーを装備したり、電波妨害を行ったり、敵レーダーサイトいち早く破壊することが、学校や家庭でのストレスの多くが、周囲の人たちの気持ちや立場が見えにくいこと、理解が不足していることが原因で、それをわかりやすくするために、わかりにくくしているのものをまず取り除くことが必要であることとつながったのです。

あらゆる学問は常に日常生活に通じるのです。

学問の何かを見て「そんな仕事、将来の役に立たない」という大人は、実は見た目だけ大人になった子供ですから、話をまともに聞かなくてもいいのですよ。

佐世保市民と語ってきた

2017/11/06 17:04 に onishi hayao が投稿   [ 2017/11/06 17:17 に更新しました ]

佐世保市民の方たちと語る会合みたいなものに参加してきた。

市内の女子高の二年生が企画。留学や学外の合宿を経験してそれまでの自分がいかに狭い価値観に自分を押し込めてきたかを自覚し、もっと自由にみんなとしゃべりたい!と企画したそうである。

これまでのアド部のプリン会等にも参加した、とある謎の大学生がプロデュースである。

いい親、学校もあるし、佐世保が好きだけど、一部の学校、家族は本音を語ることができない雰囲気で辛い、と。

とりあえず主催者が終了後に修理したばっかりのスマホおとして液晶バリバリに割れたのは、かわいそうだけど笑ったw




試験中に「あっ」と声を出してしまうようなひらめき、発見があった

2017/10/30 16:15 に onishi hayao が投稿   [ 2017/10/31 22:52 に更新しました ]

たかしくんは「はなせい」というものをやっている。
簡単に言うと、たかしくんと話すことで頭が良くなる、そういうたかしくんの営みである。
対話塾とか会話塾とか、そう呼んでもいいのかもしれない。

んで、それ受けてくれている、言ってみればはなせい生徒がいるのだが、彼女が先日模試を受けた時のことを報告してくれた。

塾とは言うが、そこら辺の学習塾と一番違うのは、問題の解き方をやさしくわかりやすく教える、なんてことは全然やらないこと。
そんなことをするから、頭がなまけて、新しいことを知るのが嫌になって、どんどん馬鹿になってテストも勉強も嫌いになっていくのだ。

だから勉強法も試験も基本本人任せ。もちろん多少は相談に乗ったりもするが、「自分で考えることを妨げる何か」を会話の中から探し出し、それを除去する。

彼女の場合は、過去の経験から失敗を恐れる気持ち、失敗した自分を責めてしまう衝動であった。原因らしきものが見えた時、未熟な心理士やカウンセラーもどきはあっせてかえって傷を深くしてしまうことが多い。若い外科医がスピードばかり気にして腫瘍を強引に扱い、周囲の脈管などの重要構造を傷つけてしまうように。たかしくんは時に繊細に、時に大胆に、形成外科で培った手と指の使い方をイメージしながら、あえてすべてを取り除こうとせず、衝動が彼女の気持ちを締め付けるのを、少しだけ緩めるイメージで対話をする。

「どれも時間一杯で。でも、知らないから、解けない!じゃなくて、自分のなかで設定した制限時間の間は、しっかり考えようと努力した。
化学は、少ない知識をうまく使って論理的に考えようとがんばった。

「ほんでとけたら、うわーできるやんって」

「試験中に知らなかったことがわかって、あっと声が出た」

と。本来持っていたはずの考える力、その使い方が少しずつ分かってきたようである。

自由な学校~赤い髪、高校やめてアメリカ留学、他人の話聞けー。

2017/10/11 10:16 に onishi hayao が投稿   [ 2017/10/11 11:07 に更新しました ]

知り合いの生物の先生に呼んでもらって、東京都立の国際高校というところで授業をしてきた。俺の大学の教養のころのキャンパスの近くにある高校で、学生のころから名前だけは聞いたことがあったが、ここ数年受験関係やイベントで名前を聞くことが増えていた。自由さが売りの高校なようで、髪を染めるのも自由、制服もスカートとズボンだけが決まっていてシャツは自由、ピアスもオッケーという最近のやたら厳しくなり続ける高校の校則とは全くの反対方向。

そもそもの授業時間が前の授業時間が変わって押しまくるという、他の学校では聞いたことのない自由さである。その自由さで人気が高く、偏差値も高いとのこと。

今回は環境科学という少人数の選択クラスで、変わった実験とか校外活動とか、かなりいろんなことをしている科目で、俺が授業をするのは二回目である。

まあ授業と言っても俺がやるのは何か教えるとかは基本全然やんなくて、来た人の好みとかそれまで生きてきて考えたことに合わせて何かを話す空間を作る、というだけ。

ただこのクラス、ただでさえ高校自体がアメリカみたいなぶっ飛んだ学校で生徒は個性派ぞろい。その中でも特に個性派な奴らが集まっているという。(後で他のクラスの生徒に聞いた)

最初は先月の宮古島での裏修学旅行のキャンピングカーで泊まった話をして、ちゃんと俺が利益を出した話、そのあとお金を稼いだ経験を聞いてみたりした。メルカリで教科書や柔道着を売った話や、自分で編曲した楽譜を友達に買ってもらったりした話など、いきなりあーやっぱりこいつら違うわと思わせる面白い話が出てくる出てくる。これはこのまま盛り上がるかな?と思って、そのあとは髪をどうして染めるのか、恋愛、付き合う、夢の話など、色々話題を振ってみた。

もうすぐ高校やめてアメリカの高校行くって男子とか、髪を染めてる男子に女子から「なんで髪染めてるの?」といったドまっすぐな疑問が出たり、していい感じだなーと思っていたのだが、ただなんか違和感があった。なんというか、他人の話に興味を持って、「でも自分はこう思う」みたいな話が、あんまり出てこないのである。そもそも「学校が自由すぎてみんな他人の話を聞かないのがおかしい」という男子も。そいつはみんなから「お前が聞けよ」と突っ込まれていた。

んで終了時間が想定と違っていて、少々まとまりに欠く形で終了。前回にも来てくれた他のクラスの女子が遊びに来てくれて、「安全な選択肢があるのに、リスクのある選択をするのはどう思うか?」と聞かれたのて、このクラス数人と、30分ほど話した。「それってリスクのあることが本当にやりたいことで、ただ失敗したときになんか責められるような感じがするのが嫌で迷っているのでは?」といったら、やたらと納得していた。

部活では話せるけど、クラスでは安心して話せない、みたいな話もあった。確かに当人は授業中はあんまり話していなかったな。
何年か前の先輩たちは自由を獲得するために色々戦ったが、自分らは違うかもとよく言われるらしく、俺も卒業生にそういう話を聞いた。

帰りに先生と話したのは、自由な学校なはずなんだけど、意外と思ったことを話せない、みたいな話。
個性的すぎて、ぶつかり合うのが怖いのかしら?思ったことを言えないってのは今の日本社会そのまんまだが、学校とかでいくら上から自由な場を用意してもそのままでは何か足りないようである。

宮古島離島留学2017春のマイエコでも話が出たのだが、「自由とは不自由があって初めて得ようとするもの」であって、初めから与えられるべきものではないのかもしれない。

いやまあ、俺は最初からほしいけどねー。










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